Tuesday, February 23, 2016

シャーマニズムという名の感染病――グローバル化が進むモンゴルで起きている異変から 島村一平 / 文化人類学

今こそ訊こうじゃないか。(シャーマンの)精霊を呼んで道を訊ねようじゃねえか。

モンゴルの兄弟たちが、健康に暮らしていけるか訊こうじゃねえか。

我がモンゴルの全ての大地が大丈夫か、訊ねようじゃねえか。

借金や抑圧がなくなるかどうか、訊ねようじゃねえか。

大衆の貧困がどうなってるのか、泥棒はだれなのか、訊こうじゃねえか。

いねえよ。答えられる人間なんていねえよ。訊くのはやめな。

生前、賢くて人生に満足できなかった精霊を呼んで訊いてみろ!

(シャーマンよ)あなたは、政治家たちに訊くのはやめな!

(モンゴルのHip HopグループIce Top 「Am Asuuya(訊こうじゃねえか)」(2011)の歌詞より)

<iframe width="580" height="356" src="https://www.youtube.com/embed/a9LcwNAoaSE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

シャーマニズムという感染病?

「最近じゃ、どこの家に行ってもシャーマンがいる」

「うちの妹もシャーマンになったよ」

近年、こんな語りがモンゴル国の首都ウランバートルの市民たちの間で囁かれている。シャーマンはモンゴル語では「ボー」(女性の場合はオトガン)という。多くの場合「オンゴド」と呼ばれる精霊(多くは先祖霊)を憑依させる霊媒師のことを指す。また、シャーマンは、天や精霊のメッセージを伝える存在だと解釈されていることから、「オラーチ(メッセンジャーの意)」と呼ばれることも多い。

現在、モンゴルではそのシャーマンの数が劇的に増加している。現地メディアの情報によると、人口約300万人のモンゴル国において、その数は2~3万人に達していると言われている。シャーマンは首都ウランバートルを中心にエスニシティや年齢、ジェンダー、貧富に関わらず、日に日に増え続けている。驚くべきことに一般の人々のみならず、有名な俳優やミュージシャン、モデルといった人々から、果ては幾人かの国会議員にいたるまでシャーマンとなっている。こうした現象は、現地では「まるで感染病のようにシャーマンが増えている」と語られることも少なくない。

そのシャーマンたちの活動は、ときにはカルト宗教的ですらある。2010年の冬には、あるシャーマンが「今モンゴルで起きつつある干害を防ぐために18歳の少女の心臓が必要だ」と主張し物議をかもした。別のシャーマンは2011年の春に首都での大地震を予言し、それを信じた一部の市民が大挙して首都を脱出するという騒ぎも起きた。このシャーマンは「マヤ暦」に基づいて2012年12月23日に世界が滅びることを予言したが、その日が過ぎるまで「世界の滅亡」を信じる市民も少なくなかった。

また、あるシャーマンのイニシエーションにおいて師匠シャーマンが沸騰したアルコール蒸気の吸引を強要し、弟子が死にいたるという事件も起きた。また、高額なイニシエーション料金をとって師匠から弟子へ弟子から孫弟子へと次々シャーマンが生み出されていることから、マルチ商法ではないかという批判もある。

つまり、現代モンゴルにおいて、シャーマニズムは深刻な社会問題としてたちあらわれているのである。その一方で、現地の文化人類学者の“監修”の下、シャーマニズム情報誌が創刊され、ゴールデンタイムにシャーマニズムについての情報番組もテレビ放映されるなど、シャーマニズムは「モンゴルの伝統宗教」として社会的に認知されるようにもなっている。ここで問題なのは、モンゴルの人々自身も感染病のように広がるシャーマニズムの理由を図りかねているという点である。かれらがこんなにもシャーマニズムに傾倒する理由はいったい何なのだろうか。

「おまえは、ルーツにねだられている!」

そもそもチベット・モンゴル仏教が支配的な宗教であるモンゴルにおいて、仏教以前の“古い信仰”であるシャーマニズムが残っていたのは、フブスグル県のダルハド(人口約1万5千人)やヘンティ県・ドルノド県のブリヤート(人口約3万人)といった地方のマイノリティに限られていた。彼らは20世紀の社会主義による無神論を乗り越えて、密かにその信仰を維持してきた。そうした中、社会主義の終焉と同時にシャーマニズムがとりわけ活性化したのは、ドルノド県のブリヤート人たちの間においてであった。

ブリヤート人は、バイカル湖周辺地域に居住していたモンゴル系の集団である。20世紀初頭、彼らはロシア人による牧草地の収奪やロシア革命による混乱を避けて、集団で国境を越え、外モンゴル(現在のモンゴル国)や、旧満州(関東軍の支配地域)に移住、亡命を図った。しかしこうした移住行為が、スターリンによって、反革命的・日本のスパイだとされた。その結果、モンゴルに移住した男性人口のおよそ半分が逮捕されて銃殺刑に処されたのだった。翻って1990年代、社会主義が崩壊すると、彼らはこの1930年代の粛清(大虐殺)によって失われたエスニック・アイデンティティを取り戻すための装置としてシャーマニズムを選んだのである。

モンゴル国に住む多くのブリヤート人たちの間では、1930年代の血の粛清によって多くの男性を失った。その結果、外婚が密かに進み、現在ではロシア人やハルハ人、中国人などとの「エルリーズ(混血)」が多く含まれている。彼らは1990年代初頭の社会主義崩壊と急激な市場経済化による社会混乱の中、地域社会内部で「純血のブリヤート人ではない」とされ、魔女狩りのように差別や排除の対象となった。

こうした「混血」の人々の苦しみは、社会主義による宗教弾圧を生き延びた数少ないシャーマンたちによって、「ルーツにねだられている(偉大な先祖霊によってシャーマンになれと要求されている)」と解釈された。そこで混血の者たちは新たにシャーマンになることによって、偉大なブリヤート人のルーツを持つ「ブリヤート人」として、自らのエスニックなアイデンティティを取り戻していたのである。

こうしたブリヤート人たちの間で活性化したシャーマニズムは、2000年代中ごろから首都ウランバートルを中心に多くの地域に伝播しはじめた。ただし、現在多くの人々に「感染」しているのはブリヤートのシャーマニズムそのものではない。伝わったのは、個人に何らかの災厄が降りかかると「ルーツにねだられている」と解釈するブリヤート由来の説明様式(災因論)である。

シャーマンになった人々と話していると、本人の病気や交通事故、あるいは家族の病気などの災厄に対して、たいていの場合、病院に行って治療をしたり、平行して仏教寺院にいってラマに厄除けの読経をしてもらう。モンゴル仏教は、日本の神社が行うような厄除けの儀礼を行う。こうした厄除けの読経は、神道同様に料金表が出来上がっており、非常に形式的なものであるといえる。

とまれ、こうした努力にもかかわらず、状況が改善しない場合、あるいは新たに何か問題が起こってしまった場合、市民はシャーマンの元を訪ねるという選択を行う。このとき、直接シャーマンを人づてに探すパターンもあるが、シャーマン協会に問い合わせる場合も少なくない。中には自分の大学に所属する研究者の紹介でシャーマンに会い、シャーマンになるように薦められるというケースもある。そこで宣告されるわけである。

「おまえはルーツ(先祖霊)にねだられている。シャーマンにならないと死ぬぞ」と。

そもそもシャーマニズムは、世界中に見られる宗教現象である。一般的にいって、こうしたシャーマン成巫の契機は、巫病を伴う神秘的な体験によって超自然的存在からシャーマンになることを求められる「召命型」、特別な血筋で継承される「世襲型」、修行を通してシャーマン的な能力を身に着ける「修行型」の三つに大別される(佐々木 1984:20; 1992:249-272)。

これに対して、現代モンゴルにおいては、シャーマン成巫の契機が、従来のシャーマン研究の枠組みに収まらないといえよう。なぜなら現代モンゴルにおいて多くのシャーマンたちは、自らにふりかかった不幸や災いが、他者(別のシャーマン)によってシャーマンになる運命であると判断されてシャーマンになっているからである。言い換えるならば、災厄の説明原理がシャーマン成巫と直結している。こうした「災厄即シャーマン」という直結型の思考法が、モンゴルの感染するシャーマン現象の大きな特徴なのである。

現代のシャーマンは、当然にして氏族や村落共同体の運命を左右する呪術師でもなければ、何か特定の信者集団のために働く存在ではない。むしろ彼らは個人の苦悩の解決手段としてシャーマンとなっている。もちろん、シャーマンたちは師匠シャーマンを頂点とし複数の弟子シャーマンとその親族からなる集団を形成したりすることも少なくない。しかし、ひとたび「精霊のお告げ」が弟子シャーマンに下ると彼らは簡単に師匠と別れ、集団を飛び出して「個人営業者」となる。そういった意味においては、基本的にシャーマンたちは本人とごく一部の家族や友人のために活動するといってよい。

逆転する社会関係

とまれ、こうしたルーツ災因論がウランバートルに伝播した結果、病気や交通事故や仕事がうまくいかない、家庭内の不和といった悩みがあると、人々はほぼ自動的に「ルーツにねだられている」と発想し、シャーマンになる道を選択しているのである。

現在、新たにシャーマンとなった者たちは想像上の社会的地位を獲得することで、親族や信者から崇敬と畏怖の念を得ている。そして彼らに憑依してくる霊は、かつての「王侯貴族」や伝説上の英雄だとされることが多い。

例えば、30代の元ホテルマネージャーの女性Jの場合、自身に憑依してくるオンゴドがタイジ(清朝時代の王侯の爵位、旗長レベル)なのだという。そこで精霊はタイジの帽子と高価な男性用モンゴル靴、大理石製の嗅ぎタバコ入れを要求したのだという。こうした品物は家族や親戚が分担して購入することとなる。あるいは精霊が親族の中で特定の人物を指して、買わせるように指示する場合もある。彼女は以下のように語る。

「オンゴド(精霊)は尊敬されるのが大好きなのよ。とくにタイジであった精霊は大事にお茶や食べ物を出され、傅かれることを好むの。だから、トシェー(シャーマンに憑依する精霊の通訳)は重要。ちゃんと、精霊に敬意を表すことが出来ない人はだめ。あるとき、女性のシャーマンと二人で儀礼をやっていたら、精霊が入ってきて『人がいないな』と言ったのよ。彼は生前、貴族で多くの人に囲まれて生きていた人だからね」

もっと極端な例もある。20代の高卒の若者Qは、シャーマンとなることで「名誉教授」「博士」といった称号を名乗るようになった。彼は、両親が子供の頃に亡くなり、唯一の家族であった姉もなくなるという不幸を経験している。その後親戚の家に引き取られたが、病気のためにせっかく入った専門学校も中退した。そうした中で仕事も失い意気消沈していたが、ある日ダルハド族のシャーマンに出会い、シャーマンになる運命であることを告げられ、シャーマンとなったのである。現在、Qは30人近くの弟子シャーマンを束ねる頭領となっており、目上の者であろうと「おまえ(Chi)」と呼び捨てるほど尊大なふるまいをする人物なのだと聞いた。

そこで2011年春、そのQに会いにいった。玉座のような大きな椅子に深く腰掛けた彼は、初対面の私に対して「俺も博士だ。だが俺は、お前より上の教授なんだぞ」と名刺を投げ捨てるように渡した。そこには「国際シャーマニズム研究名誉教授、名誉博士」といった肩書が並べられていた。

そもそも「名誉教授」とは、一般的に大学を定年退職した後に贈られる称号である。「20代で名誉教授とは、すごいな」と思いながら話を聞いていると、シャーマニズム研究でアメリカR大学から「博士号」と「教授号」を取得したのだと自慢げに語る。そしてアカデミックガウンを羽織って撮影した写真を私に見せてくれた。そして「いいか。モンゴルのシャーマンは、世界で一番力があるのだ」と言うと、滔々とモンゴルのシャーマン自慢を滔々と語り始めた。

しかし彼の学位取得の記念写真の背景が自宅であることが不思議に思われた。そこでインターネットで調べてみたところ、そのR大学とは、金で学位を売るいわゆるディプロマ・ミル(学位捏造工場)であるとの情報がたくさん出てきたのだった。

No comments:

Post a Comment