Friday, September 20, 2013

第8回 冬を乗り切るモンゴルのパワー食

「ドンッ」と目の前に置かれたのは茹でた肉の塊。

胸椎の部分だろうか、幼児のこぶし大の骨にぎっしりと肉がくっついている。

 9月15日から始まる大相撲秋場所の番付表を見たのがきっかけだった。日本人力士、遠藤が初土俵から昭和以降最速で新入幕を果たしたことが話題になっているが、注目してしまうのはやはり横綱。東に4連覇を狙う白鵬、西には日馬富士と、横綱は東西ともにモンゴル人だ。

 モンゴル勢が相撲界を席巻して久しいが、なぜそんなに強いのだろう。もしかしたら、ソウルフードにも強さの秘密があるのかもしれない。そう考えてモンゴル人力士がよく食べにくるという、東京・文京区のモンゴル料理店「シリンゴル」を訪れた。

 シリンゴルは日本人の田尻啓太さんが店長を務める。シェフとして料理に腕を振るうのは中国の内モンゴル自治区で育ち、少年期までは遊牧生活を送っていたというモンゴル族のチンゲルトさんだ。

 「日本にいても食べたくなる地元のソウルフードは何ですか?たとえば口にしただけで故郷の景色がパーッと蘇るような……」

 カウンターで準備を進めるチンゲルトさんに質問をぶつける。ちょっと考えてから「これしかないね」と言って出してくれたのが、冒頭の肉の塊だった。

「これはチャンサンマハと言います」

 モンゴルの言葉でチャンサンは「茹でる」、マハが「肉」の意。「チャンサンマハ」は羊の肉を塩茹でにした料理で、「これを食べると元気になる。私に限らずモンゴル人にとって羊は最も大切なもの」なのだという。

 しかし、皿の上に乗っているそれは、きれいに盛りつけられているでもなく、添え野菜があるわけでもない。まさに“茹でただけ”の状態なので下ごしらえの段階なのかと思った……驚いている様子に気づいたのか、チンゲルトさんが話し始めた。

 「モンゴル人は自然とともに暮らす遊牧の民です。食べるときも自然の味を大切にします。調味料をいろいろ加えたら、肉本来の味も香りも損なわれてしまうでしょう。だから味付けは塩だけ。モンゴルの伝統なんです」
 
 緯度で言えば北海道のやや北に位置するモンゴル高原は、平均高度1500mの寒冷と乾燥の厳しい土地だ。農耕には不向きなこの土地に住むモンゴル人は、13世紀初頭にチンギス・ハーンが築いたモンゴル帝国よりも昔からこの地で遊牧を生業としてきた。その頃から草原に住む人びとの生活スタイルは、今と大きくは変わらない。

 放牧するのは馬、牛、ラクダ、羊、山羊の5種類の家畜。馬は広大な草原を移動する乗り物となり、牛は荷物を運ぶ牽引力。寒さに強いラクダは冬に馬や牛の代わりを務めて、羊や山羊は食料となり衣類となる。そしてすべての家畜から搾乳して乳製品をつくる。家畜は遊牧民の衣食住の多くをまかなっているのだ。中でも羊はモンゴル人の主食であり、長くて厳しい冬を越すためのパワーの源となるのだという。


「12月になると冬を越すのに必要な分だけ羊を『出し』ます。マイナス40℃にもなるところだから、外に氷の冷凍庫をつくって生の肉を保存し、毎日少しずつその肉を茹でて食べる。羊の肉はエネルギーがすごい。身体を温めてくれるし、食べ過ぎると顔に赤い吹き出物ができるほどです」

 チンゲルトさんは羊をほふることを表現するときに「出す」という言葉を使った。力を与えてくれる自然の恵みなのだから、「殺す」という言葉は適さないのだそうだ。

 話を聞くにつれ、「ただの塩茹で」だと思っていたことが恥ずかしくなる。生きるための糧として感謝の念があるからこそ、シンプルにいただくのが一番なのだろう。「いただきます」と手を合わせて、チャンサンマハを口に入れる。

 脂が乗った肉は口の中で崩れるほどやわらかく、ほのかな塩味がうま味を引き立てている。やがて羊特有のにおいが鼻腔に広がり、風味をより豊かなものにする。遊牧民の羊肉の調理法は「茹でる」か「蒸す」に限るそうだ。これも肉の味を大事にするからであり、彼らに言わせると焼いた羊の肉は美味しくないらしい。

 「モンゴルでは地方によって肉の風味が違います。羊のエサとなる草の種類が異なるからです。たとえば私が住んでいた内モンゴル自治区だけでも、西に行くとシャボクという低木が多く、ここで放牧された羊はシャボクの香りがする。また東部にはアイクという香りの強い灰色の草が生えていて、羊の肉にその香りや味が出る。だから、モンゴル人はどこの羊か食べればわかるんですよ」

草が調味料の役割を果たしているのかもしれないね、とチンゲルトさん。とはいえ遊牧民の冬の食事は、このチャンサンマハとスーテー茶(塩入りミルクティー)が中心。春になって肉の保存ができなくなると、残りの肉を干し肉にしてかじりながら、乳製品を食べて次の冬まで過ごす。小麦粉が流通してからはうどんやボーズ(羊の肉入り蒸し饅頭)も食べるようになったが、野菜はほとんど食べない。

 そんな偏った食生活でも、馬の乳で作るお酒「馬乳酒」にビタミンCが含まれていたり、チーズからカルシウムや亜鉛を摂取したりと、栄養バランスは上手く成り立っているらしいが、そもそも毎日同じ羊肉で飽きないのだろうか。

 そう問うと、「日本の生活も長いし、和食は美味しくて刺身なんかも大好き。でも、やっぱり羊の肉を食べないとパワーが出ないし、食事をした気がしない。だから今も毎日のように食べています。日本のお米みたいになくてはならないものですね」とのお答え。モンゴル人はみんな同じなのだろうか、店には定期的にチャンサンマハを食べに来る力士もいるという。

 モンゴル人は羊の肉を食べながら何百年にもわたって命を受け継いできたのだ。そういえば小さい頃、ご飯粒を残すと親に「農家の人が一生懸命作ったのだから一粒残さずに食べなさい」と怒られた。日本人も弥生時代から稲を作り、米を食べ続けている。遊牧民と農耕民族の違いはあれど、その食べ物に宿るスピリットは同じなのかもしれない、と羊肉を食べながら思う。

 「でも、モンゴルの食も最近はだいぶ違ってきていますよ」とチンゲルトさん。「私は遊牧民だったので羊とともに暮らし、毎日その恵みをいただいてきたけれども、都市部の人たちは野菜や魚も手に入るからいろいろなものを食べているんです」

モンゴルでは1990年の民主化以降、急速な経済発展を遂げる中で遊牧の暮らしをやめて都市に流入する人が増えている。都市部にはいろいろな国のレストランもあるし、マクドナルドもできて、若者を中心に食文化が変わってきているという。チンゲルトさんと同じく「シリンゴル」で働く、モンゴルの首都ウランバートル出身の留学生・アユールザナさんは言う。

 「僕たちの世代はスーテー茶よりジュースが好きだし、野菜も食べます。市場では羊の肉が一番高いから、チャンサンマハはお正月やお祝いのときに食べる特別な料理。よく食べるのは羊の肉とジャガイモが入ったうどんです。だからモンゴルでは羊の肉そのものをそれほど食べたいと思いません」

 でも、とアユールザナさんは最後にこう付け加えた。「日本にいるとやっぱり羊の肉が恋しくなります」。かつての日本がそうであったように、転換期を迎えているモンゴルでは、これからも食生活はどんどん変わっていくのだろう。だが、ご飯粒一粒と同様、羊の肉への感謝の念は親から子へと受け継がれていくに違いない。

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