Friday, October 26, 2012

モンゴルの医学教育を調査

このほど、長崎大学がモンゴル健康科学大学と学術協定を結ぶに当たり、モンゴル国の医療と医学教育について調査を行うために同国を訪問しました。大学関係者だけでなく医師であるバイオレーサーファン国会議員、ウルガマルツェツェグ教育副大臣とも精力的に意見交換をしてまいりました。

同国の医療提供体制は、いずれもウランバートル市内にある三つの国立総合病院と外傷、母子、感染症といった八つの国立専門病院を中心として、近年は同市内に私立病院が増加し始めています。一方、医薬品の不足とともに医療機器は古いものが多く、高度な医療を受けるためには国外の医療機関を受診する必要があるとのことです。それでも第一国立病院では肝移植の症例が積み重ねられており、診療科ごとの水準に大きな格差があることを感じます。

一方、モンゴル健康科学大学は同国唯一の国立医学教育機関です。1学年400人の医学生が学んでいましたが、大学病院がありません。医学生に対する臨床実習を体系的かつ総合的に行う場や高度な医学研究を行う場がないのです。同国の医療水準を全科的に高めていくためには、根本となる医学教育の質を高めていくことが重要であると感じました。

わが国はこれまでモンゴル国に対する支援を強力に行ってきました。ウランバートル市内の高架橋である太陽橋は渋滞緩和に大きく貢献し、市民に喜ばれています。同様に病院の建物や医療機器をインフラ整備として提供することは、予算の裏付けさえあれば容易なことでしょう。しかしながら、そのインフラが同国の医療として根付くためには人的支援の必要性を感じます。青年海外協力隊やシニアボランティア制度を工夫して活用することにより医学教育が可能な医師を派遣して日本の医学教育をシステムとして技術移転することはできないでしょうか。

わが国においても西洋の医学教育がシステムとして初めて伝えられたのは155年前のことです。

長崎の医学伝習所(現在の長崎大学医学部)には養生所(大学病院)が併設されました。そこでオランダ人医師のポンぺよりオランダ医学を学んだ松本良順自らが、東京の西洋医学所(現在の東京大学医学部)に頭取として赴任して、長崎に根付いた医学教育をシステムとして移したのです。歴史はポンぺや松本良順が長崎や東京という現場で医学教育をシステムとして根付かせたことを証明しています。

資源開発等により急速に経済発展を遂げるモンゴル国への無償資金協力は来年度にも最終局面を迎えます。くしくも、私が昨年、長崎県松浦市鷹島沖で、ほぼ完全な形で発見された元寇船を文化財保護すべきと国会で提案し、既に実現した話題は、現地でも大変喜んで頂けました。

モンゴル国における医学教育支援が医療の進歩につながるよう調査を続け、さらに具体的な提案を日本政府に対して行ってまいります。

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