竹内さんは戦後、中国からの引き揚げ船の中で患った肺炎の影響で右目を失明、小学2年の頃に完全に光を失った。県立岡山盲学校から東京教育大(現・筑波大)に進み、1968年から37年間、同盲学校に勤務。91年からは1700回にわたり、自身の体験に基づいた講演を行い、2011年3月には、モンゴルの留学生から同国で立ち遅れる視覚障害者支援の実情を聞き、講演の報酬など私費を投じて同国に職業訓練センターを設立した。
岡山市南区の映像製作会社社長、山本守さん(56)は約10年前に竹内さんの講演を聴き、「人は何のために勉強するのか。自分のためではなく、社会の役に立つためだよ」という言葉に共感。
その後、県内の経営者や文化人らが教育や社会問題に取り組むグループで、自身も加わっている「ワンダーシップ」のメンバーとともに竹内さんとの交流を深め、世界で初めて岡山市に点字ブロックが設置されたことを記した記念碑の建立(2010年)のため、竹内さんらが奔走した時にも支援した。
山本さんは交流の中で、困難に立ち向かってきた竹内さんの姿を今の子どもたちに伝えたいと思い立ち、竹内さんの著書「あの日、あの時」の映画化を本人やグループに提案。快諾を得て、11年にグループで実行委員会を設立した。
製作には約2000万円が必要で、協力を呼びかけようと約13分の「予告編」を昨年に製作。出演者は全員「素人」の県民約70人で、失明に至る経緯や同級生から受けた執拗(しつよう)ないじめ、他者への思いやりを教わった盲学校の恩師との出会い、1964年の東京パラリンピックに卓球選手として出場したこと、結婚に至る半生を描いている。
予告編はインターネットの無料動画サイト「ユーチューブ」で、「拝啓 竹内昌彦先生」として公開中。一口2000円で募金を呼びかけ、現在約330万円が集まった。
山本さんは「この映画が完成した暁には、学校の授業などで活用してもらえるようになれば」と話している。問い合わせは実行委(086・242・3535)。
(2013年1月11日 読売新聞)
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