Saturday, January 12, 2013

二所ノ関部屋「消滅」の背景

大相撲最多の優勝32回を誇る横綱大鵬ら、数々の強豪力士を生んだ二所ノ関部屋が、初場所(13日初日・両国国技館)を最後に閉鎖されることが9日、分かった。師匠の二所ノ関親方(64=元関脇金剛)が昨秋から頭部疾患により長期入院中で部屋の運営が困難になったが、後継者がいなかった。戦前の名横綱玉錦や日本のプロレスの礎を築いた関脇力道山などを輩出した角界屈指の名門部屋にもかかわらず、なぜ部屋を継ぐ者が育たなかったのか。その真相を追った。

後継者が育たなかった最大の理由は、ひと言でいうと経営難だ。

病気療養中の二所ノ関親方が今年11月の九州場所を最後に定年退職することが決まっているが、台所事情は苦しかった。親方の現役時代は「ほら吹き金剛」として人気があったが、継承後はマージャン賭博事件(1995年)や部屋のマネジャー急死、入門したモンゴル人力士が稽古中に意識不明(ともに2010年)など不運の連続。部屋のイメージも悪くなり、スカウト活動も停滞した。

結局、現在の二所ノ関親方が1976年9月に部屋を継承してから育てた関取は小結大善(現富士ヶ根親方)ただ一人。03年初場所を最後に関取が不在となり、現在は三段目以下の力士3人しかおらず、北陣親方(元関脇麒麟児)ら部屋付き親方3人と行司と床山が1人ずつ在籍するだけだった。角界全体が新弟子減少で苦しむ中、アピールポイントが少ない小規模部屋の弟子が減る→有望力士が育たない→さらに入門希望者が来ない→力士の人数に応じて日本相撲協会から支給される補助金も少額という「角界デススパイラル」に陥った。

有力関取がいないため、後援者からの支援を得られない。しかも、東京・墨田区にある部屋の土地は借地のため、賃料の支払いも必要となる。誰が名門部屋を引き継いだとしても経営が困難になるのは明らかで、部屋付き親方たち3人が簡単に名乗りを上げられる状況にない。角界の厳しい現状が改めて浮き彫りとなった格好だ。

もともと二所ノ関部屋は後継者争いや独立問題で揺れた歴史を持つ部屋だった。先々代の八代目二所ノ関親方(元大関佐賀ノ花)の急死(1975年)で大鵬か押尾川親方(元大関大麒麟)が継承すると見られていたが、当時27歳だった金剛が先々代の次女の娘婿になることで電撃引退。

第十代二所ノ関親方として部屋を継承した。反発した押尾川親方は青葉城ら弟子を引き連れて独立する騒動に発展。皮肉なことに37年後の今回は人材不足で後継者探しを断念する結果となった。

かつては大鵬のほか、横綱玉錦、佐賀ノ花と大麒麟の両大関を輩出。プロレス界にも力道山や幕内天龍といった人材を送り出した。また「土俵の鬼」と呼ばれた横綱初代若乃花、横綱玉の海、大関琴ケ浜も入門からしばらく在籍した。だが閉鎖にともない、部屋付き親方たちは二所ノ関一門の松ヶ根部屋などへ転籍する予定。弟子たちは引退の可能性もある。大相撲の歴史に欠かすことのできない名門部屋も時代の波には逆らえなかった。

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