Wednesday, December 26, 2012

【月刊・白鵬】驚愕の誤報もあった!? 「2012年、横綱の5大ニュース」

第21回:2012年

最後の九州場所(11月場所)で優勝し最高の形で2012年を締めくくった横綱。
さまざまな出来事があったこの1年を「5大ニュース」として振り返る――。

2012年も、残りわずかとなりました。今年は、最後の九州場所(11月場所)で春場所(3月場所)以来4場所ぶりの優勝を果たし、なんとかいい形で1年を締めくくることができました。

その後、冬巡業を終えて東京に戻ると、多忙な日々が待っていました。後輩の結婚式や日馬富士の横綱昇進パーティーといったお祝い事に出席し、さらにテレビの正月番組の収録などもあって、いまだに師走らしく慌ただしい毎日を送っています。

さて今回は、「相撲界、私の5大ニュース」と題して、この1年を振り返ってみたいと思います。

今年も思い出深い1年でしたが、一番うれしかった出来事は、夏場所(5月場所)でモンゴル人力士のパイオニアである、旭天鵬関が初優勝を飾ったことです。

場所前はもちろん、場所が始まってからも、西前頭7枚目で37歳8カ月というベテランの旭天鵬関が優勝することなど、誰も想像していなかったことでしょう。ちょうど史上初の6大関時代に突入した場所で、稀勢の里や鶴竜ら若手大関はかなり張り切っていましたからね。春場所で優勝した私も、初日こそ黒星を喫しましたが、連続優勝を狙って気持ちが途切れることはありませんでした。旭天鵬関本人も6日目を終えて3勝3敗の成績でしたから、「優勝を狙おうなんて、これっぽちも考えていなかった」と言います。

ところが後半戦、星の潰し合いになって、最後は12勝3敗で並んだ旭天鵬関と、東前頭4枚目の栃煌山という平幕同士の優勝決定戦となりました。その大事な一番で、旭天鵬関はひと回りも年下の栃煌山を見事に撃破。これまでコツコツ稽古してきた成果が、そこにすべて出ていました。まさに汗と涙の結晶です。

37歳でも立派な相撲が取れることを、身を持って証明してくれた旭天鵬関。その姿に感動し、私は「優勝パレードの旗手を務めさせてほしい」とお願いしました。あのときは、本当に泣きましたねぇ。あんなに美味しいお酒を飲んだのも、久しぶりのことでした。

次は、初場所(1月場所)の把瑠都の初優勝と、鶴竜の大関昇進です。

ひとり横綱でいる期間が長くなっていた私は、真の意味で互角に戦えるライバル的な存在がほしかった。そして、計り知れない力を持った把瑠都なら、スケールの大きい横綱になれると、かねてから思っていました。それだけに、把瑠都が初場所で待望の優勝を果たしたときには、「これで一気に横綱だ!」と期待が膨らんだものです。最終的には、その望みは叶いませんでしたが、印象深い出来事でした。

鶴竜は、センス抜群の力士です。ワンチャンスをモノにして、大関に昇進したことは評価できると思います。史上初の6大関誕生という意味でも、今年を象徴する話題だったと思います。

3番目は、私自身、ケガの多い1年だったこと。初場所に足の指を痛めたことに始まり、夏場所も密かにケガで苦しんでいました。これまで、そうしたことは少なかったので、なおさらケガに悩まされた1年だったな、という記憶が残っています。

それでも、夏場所のケガも癒えた名古屋場所(7月場所)では、初日から14連勝を飾って、自信を取り戻すことができました。そして、その場所の千秋楽、結びの一番では日馬富士と全勝対決が実現。敗れはしましたが、その際、日馬富士というライバルの存在を改めて意識することになりました。

そういう意味でも、この全勝対決の翌場所、日馬富士が2場所連続の全勝優勝を果たし、横綱昇進を決めたことも、5大ニュースから外せません。

その秋場所(9月場所)、私も「先場所の借りを返してやる!」とかなり意気込んでいました。しかし日馬富士の気迫は、それ以上に素晴らしかった。「絶対に横綱に昇進するんだ」という気持ちの強さが、私にもビシビシと伝わってきました。2場所連続で苦杯を舐めましたが、待ちに待った横綱誕生には、素直に喜んだものです。

新横綱で臨んだ九州場所では残念ながら後半で失速してしまいましたが、日馬富士の負けん気の強さは天下一品です。東西に横綱がそろってこその大相撲。最近は巡業中の支度部屋などでもあれこれと話し合う機会が増え、私自身、もっとがんばろうという気持ちになってきています。

そして最後は、私の九州場所での復活優勝です。

ケガの影響があったとはいえ、3場所も優勝から遠ざかってしまったことは、横綱として責任を感じていました。その間の8カ月は、本当に長かったです。日馬富士が連続優勝した名古屋場所と秋場所でも、自分なりにはある程度の手応えをつかんでいたんです。でも、優勝するには何かが足りなくて、それが何かは具体的にはわからず、そうしたジレンマに悩まされていました。

一転、九州場所では自分の中で眠っていた「何か」が、ついに目を覚ましてくれました。最後の最後で優勝できたことは、本当に満足していますし、私にとって意義のあるものでした。

番外編としてお届けしたいのは、私がモンゴルの女性歌手と結婚する、という報道があったことです。7月頃、モンゴルのマスコミが騒ぎ立てたデマなのですが、あのニュースには参りましたね……(笑)。

記事では、私がすでに奥さん(紗代子夫人)と別居していて、女性歌手もちょっと前に離婚しているから、近くふたりは結婚する……という話がまるで真実かのように書かれていました。話題に挙がった女性歌手とは、会話さえしたことないんですよ(笑)。

モンゴルでは、根も葉もないデタラメな話が、そうやって事実として伝えられることがよくあるんです。大関になる前なんて、モンゴルのメディア紙上では、すでに私はモンゴルで3人の女性と結婚していることになっていました。呆れるというか、笑っちゃいますよね(笑)。

とはいえ、そうやって報道されるのは、モンゴルでも相撲界が注目されているということ。来年は、さらに相撲界が盛り上がっていけるよう、両横綱でみんなを引っ張って、一層がんばっていきたいと思います。

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